”沖縄戦”特設ページへようこそ
- 71年目の沖縄慰霊の日(6/23)に合わせ、沖縄戦の体験談をご紹介するページを開設しました。
- 今後、動画の公開にも力を入れたいと考えていますが、現時点では文章のみの公開です。
沖縄戦とは
あの大戦に動員された日本軍兵士789万人(敗戦時の動員数、なお当時の総人口約7200万)、戦場での戦没者240万人(うち軍人軍属210万人)、帰国できたのは310万人。さらにアジアの戦争犠牲者は1700万など諸説あります。あの戦争は未曽有の総力戦であり、国民の全生活をもって戦った戦争でありました。その戦争末期に、沖縄では県民を巻き込んだ地上戦が行われました。
開戦以来、進撃を続けていた日本軍は、昭和17年6月のミッドウェー海戦を境に徐々に後退に転じ、南太平洋の島嶼(とうしょ)にあった基地を奪われました。日本軍は南西諸島方面の守りを強化するため、昭和19年3月に沖縄防衛のため第32軍を創設。同年7月に絶対国防圏の要(かなめ)であったサイパンが陥落すると、中国大陸や日本本土から実戦部隊が送られ、第32軍は増強されました。一般の住民や男女の学徒も動員して飛行場建設や陣地構築が進められました。
一方米軍は、昭和19年10月10日、南西諸島一帯に大規模な空襲を行ないました。昭和20年3月17日に硫黄島の日本軍守備隊が玉砕。米軍は沖縄を日本本土攻撃の拠点と定め、攻略を開始しました。3月26日に慶良間列島に上陸、4月1日に1,500隻近い艦船と延べ約54万人の兵員をもって沖縄本島に上陸を開始。ここから3ヶ月以上にわたる沖縄戦が始まりました。
沖縄戦の戦没者数
沖縄戦の戦没者数は日本軍の軍人軍属9万4,136人(本土出身兵6万5,908人、沖縄県出身軍人軍属2万8228人)、沖縄の住民約9万4,000人、アメリカ軍1万2,520人といわれます(沖縄県援護課推計)。
「沖縄出身軍人軍属」には現地召集の防衛隊、学徒隊も含まれます。この戦没者数には、疎開そかい途上での海没による死亡者などは含まれず、また軍夫(戦場の雑役夫)や慰安婦等として沖縄にいた朝鮮人の死亡者なども含まれません。その他の統計方法の限界もあり、実際の戦没者はもっと多く、県民犠牲者は15万人以上、県民の4人に1人が死亡したともいわれます。
沖縄戦特設ページについて
ここには、約50名の沖縄戦の体験談を公開しています。
これまで私たちは、沖縄戦の体験者140余名の方からお話を伺いました。沖縄出身・本土出身の元日本兵、鉄血勤皇隊、女子学徒隊、護郷隊、防衛隊。あるいは戦場を逃げ惑った幼い子供や母親たちなどの体験談です。
人々が生活を営む場が戦場になるとき、何が起きるのか。沖縄戦が伝える地上戦の実態は、どれも想像を超える話ばかりです。体験した人にしか分からないあの戦争の実態があります。
だからこそ、あの時代を体験したー人ひとりの話を、未来を生きる若い世代のために残しておかねばなりません。遠く過ぎ去った悲惨な過去として切り捨てるのではなく、あの時代を広く考えるためにこの体験を私たちは知るべきだと思っています。
また、沖縄戦の実態を知ることは、現在の沖縄をめぐる問題の起源に触れることにもつながることを付け加えたいと思います。沖縄戦のさなか、米軍は日本本土攻略のために住民を収容所に強制移動させ、基地を建設しました。その基地が役割を変えて今も沖縄に存在し続けています。
戦場の生の体験を通じて、沖縄戦を知り、戦争について、今日の問題について、そして未来に何を伝えていきたいのかについて、考える機会にしたいと願っています
体験談を読むにあたって
ここに展示するのは、普通の人々の目線で語られる見たまま・聞いたままの沖縄戦の体験談です。当然ながら一人ひとりの体験は断片的なものになります。なぜ住民と日本軍が同じ場所にいたのか、集団自決がどうして起きたのか等、体験談からは分からないこともあります。
そしてこの展示では、体験談の外の出来事についての解説を控えています。それは専門家でもない私たちの知識不足に負うところが大きいことは事実ですが、同時に、それらをどのようにとらえ、後世に説明していくのか、それをこの展示をご覧になった方々と共に考えたいと思っています。
サイト内検索(全文検索)
対馬丸
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中島高男さん | 対馬丸船員 | ●1枚目 ●2枚目 |
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久高将吉さん | 家族疎開で対馬丸に乗船、当時11歳 | ● | ● |
10.10空襲
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森山英子さん | <その1>県立第2高等女学校生徒、那覇市で10.10空襲に遭う | ● | ● |
米軍、慶良間諸島に上陸
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上里和子さん | 座間味島で「集団自決」を経験、当時6歳 | ● | ● |
野村盛明さん | 陸軍衛生伍長として応召、海上挺進第一戦隊附で座間味島へ | ● | - |
稲守信子さん | 渡嘉敷島で「集団自決」を経験、当時20歳 | ● | ● |
米軍、沖縄本島に上陸
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伊波文子さん 嶺井伸裕さん |
米軍上陸当日、嘉手納町で米軍の捕虜となる | ● | ● |
特攻
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松浦喜一さん | 学徒出陣、第144振武隊で沖縄に向け特攻出撃 | ● | 準備中 |
後藤昭二さん | 海軍特別年少兵に志願、戦艦「大和」乗務員として、沖縄へ出動 | ● | ● |
米軍、伊江島に上陸
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与那城彦興さん | 伊江国民学校高等科2年 | ● | - |
大城安信さん | 伊江国民学校3年、「集団自決」を経験 | ● | 準備中 |
沖縄戦の兵士たち
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糸数雄介さん | 24師団歩兵第32連隊、沖縄県出身 | ● | ● |
満山凱丈さん | 24師団歩兵第89連隊、北海道出身 | ● | 準備中 |
近藤一さん | 62師団独立歩兵第13大隊、三重県出身 | ● | ● |
伊禮進順さん | 24師団歩兵第89連隊、沖縄県出身 | ● | ● |
嶺井巌さん | 独立混成第44旅団砲兵隊、沖縄県出身 | ● | ①_②_③ |
津嘉山正弘さん | 独立混成第44旅団重砲兵第7連隊、沖縄県出身 | ● | ● |
匿名(Y.Iさん) | 海軍、第27魚雷艇隊、福岡県出身 | ● | ● |
郷土が戦場に(民間人の体験談)
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呉屋晶子さん | 沖縄新報で勤務 | ● | ● |
金城圀弘さん | 旧高嶺村与座出身、当時6歳 | ● | ● |
玉那覇香代子さん | 当時10歳、家族とはぐれて艦砲射撃の降り注ぐ南部をさまよう | ● | 準備中 |
安里要江さん | 当時24歳、二児の母、南部を逃げ惑う | ●1枚目 ●2枚目 |
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玉城澄子さん | 摩文仁国民学校高等科1年、自然壕での「集団自決」を経験 | ● | ● |
久保田千代子さん | 摩文仁国民学校教員、八重岳のお墓や米須の壕に | ● | ● |
仲程シゲさん | 大里村第2国民学校高等科2年、摩文仁(まぶに)へ | ● | ● |
安次富絹枝さん | 当時7歳、ギーザバンタでの艦砲射撃の体験 | ● | ● |
嶺井勇盛さん | 玉城国民学校6年生、自宅に上がり込んだ米兵からスパイだと疑われる | ● | ● |
座波次雄さん | 玉城国民学校、父・叔父の防衛召集、百名での体験 | ● | ● |
稲守信子さん | <その2>渡嘉敷島の山中で8月15日まで | ● | ● |
當真嗣長さん | 恩名国民学校2年、恩名岳への避難 | - | 準備中 |
福地曠昭さん | 喜如嘉(きじょか)国民学校高等科2年、やんばるの山中へ避難 | ● | - |
戦場に動員された少年たち
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宮平盛彦さん | <その1>県立第1中学校2年生、電信第36連隊に配属 | ● | ● |
神谷依信さん | 県立第1中学校3年生、県庁連絡員、野戦重砲連隊に配属 | 準備中 | - |
瀬底正賢さん | 水産学校鉄血勤皇隊 | ● | - |
玉那覇文彦さん | 県立第1中学校4年生、対戦車攻撃隊への所属を命ぜられる | ● | ● |
宮城光吉さん | 県立第3中学校3年生、独立混成第44旅団に配属 | ● | - |
大城晃さん | 県立第3中学校3年生、独立混成第44旅団に配属 | ● | - |
金城幸昭さん | 16歳で召集され、第二護郷隊(第四遊撃隊)に | ● | ● |
学徒隊(戦場に動員された少女たち)
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宮良るりさん | 沖縄師範学校女子部、ひめゆり学徒隊、沖縄陸軍病院第3外科に配属 | ● | 準備中 |
中山きくさん | 県立第2高等女学校生徒、白梅学徒隊、第24師団第1野戦病院に配属 | ● | ①_②_③ |
仲里ハルさん | 私立積徳高等女学校、積徳学徒隊、第24師団第2野戦病院に配属 | ● | ● |
宮城巳知子さん | 県立首里高等女学校、瑞泉(ずいせん)学徒隊、第62師団野戦病院配属 | ● | ● |
稲福マサさん | 私立沖縄昭和女学校生徒、梯梧(でいご)学徒隊、第62師団野戦病院配属 | ● | ● |
久場千恵さん | 日赤看護婦、第62師団野戦病院 | ● | ● |
仲里ユキさん | 女子青年団、野戦重砲第7連隊医務室 | ● | ● |
上原米子さん | 県立第3高等女学校生徒、なごらん学徒隊、沖縄陸軍病院北部分室に配属 | ● | ● |
組織的な戦闘の終結
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宮平盛彦さん | <その2>投降勧告に来た日本兵の殺害を目撃 | ● | ● |
森山英子さん | <その2>県立第2高等女学校生徒、遺骨収集と魂魄の塔の建設 | ● | ● |
大田昌秀さん | 遺骨収集と平和の礎の建設 | ● | - |