インタビュー記録
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1944(昭和19)年から壕掘りで兵隊が来た
- 独立重砲兵第100大隊(球18804部隊)が陣地構築。
- 入れ替わり立ち替わり20人ぐらいが家に来て住んでいた。
- そのうちの1人に、お兄さんのようだった宮城の人がいた。一昨年、遺族を65年ぶりに探し当てて会ってきた。
1945(昭和20)年3月23日の大空襲の後、実家を離れて南部へ
- 障害者のいとこ姉妹(15歳と5歳)を置いて出た。
- 平和になってみたらこの2人がいないことで、なぜ置いて自分たちだけ逃げたのかと悔いた。一生悔いが残る。
1945(昭和20)年6月
- 真栄里付近に2つの壕があった。そのうちの1つに家族と親せき11人で避難。穴を掘って荷物を真ん中にして隠れていた。
- 1週間ぐらいで米軍の戦車が近くに来た。
- 防衛隊から帰ってきていたおじさんが、「やつらに殺されるくらいなら自分で死んだ方がいい」と言って手榴弾を出した。
- 母が、「子ども5人、どうして殺せるか、まず待ちなさい」と言って抵抗したので助かった。
- 隣のもう1つの壕にいた家族は、「明日出ようね」と言っていたが、その日直撃を受けてみんな死んだ。
- 隠れていた壕に和歌山県出身の兵隊が1人入ってきたが、すぐ出て行ってその日の夕方には死んでいた。
- その兵隊の死体を見ながら、70mぐらいの山を越えて摩文仁の方に出た。
- そのとき、山の途中で砲弾に当たり、おばさんは即死。おじさんもけがをして動けなくなった。
- 虫の息のおばさんは、母が「姉さん、戦争が終わったら迎えに来るからね」と言ったら、最後の大きな息をして死んだ。
- おじさんは、宮崎に疎開している息子を頼むと言いながら残った。水の入った一升瓶を置いて、「兵隊さんが通ったら飲ませてもらうように」と言っておいた。今もこのおじさんの遺骨はわからない。
- 逃げる途中は焼け野原で、死体だらけ。お腹がふくらんで真っ黒で男女の区別もない。悪臭が大変なので、ヨモギの葉を鼻につめたりした。
1945(昭和20)年6月20日前後
- 摩文仁の平和の礎の近くの岩山の下辺りで、日本兵が沖縄の兵隊を殺すのを目撃。沖縄出身の若い兵隊が、「このままでは生きていかれませんから捕虜になりましょう」と言った。日本兵2人が出てきて、「こんなやつがいるから」とこの若い兵隊の首を切った。
- 他にも捕虜になろうと話し合っているおじさんたちがいて、「女の人は荷物を置いて、男はふんどしになって捕虜になろう」とズボンを下ろしかけていたが、若者が殺されるのを見て慌てて上げていた。
- 空襲と戦車砲と艦砲にかこまれて立ち往生しているときだったので、みんな右往左往。
- 首を切った日本兵に「私たちも殺して」と言おうとしたが、もういなくなっていた。荷物を置いて崖を下りることになった。
- 崖のところには自然の道もあったが、ここの人間ではないので分からなかった。知っていれば崖を下りなくてもよく、荷物も持っていられたのに。
- 荷物には、ブリキ缶に、いもくず、黒砂糖、米、味噌等を入れて、両手に持ち、頭の上にも乗せて運んでいた。
- 母が、「もし私が死んだら、この食料で誰かに助けてもらって生きなさい」と言って、食料を4等分してあり、それを私が持っていた。
- 逃げている途中は、いものでんぷんと黒砂糖を混ぜて水で溶いたもので命をつないでいた。
- 崖を下りていて、裸足なのでサンゴ礁で足を切った。崖を下りてからは、あそこの洞窟、ここの洞窟と転々としながら逃げていた。途中、水のたまった穴に落ちたことがあったが、母が襟首をつかんで引っ張り上げてくれた。
- 赤ちゃんの死体が浮いていたが、どうすることもできなかった。
- 中城村出身のおじいさんが、「中城村瑞慶覧出身・・・」と言いかけて名前まで言わない間に痙攣して目の前で死んだ。
- 「もうここで死ぬ」と言ったこともあったが、母が「どうせ死ぬなら帰って死ぬ」と言ってお尻を押し上げてくれたりで生き延びた。
- 洞窟の中には水があったから生き延びることができた。食料がないので、出るべきものが出なかったのもよかった。着の身着のままだから。
- 外では、「出てこい出てこい、日本は戦争に負けました。ぼくはハワイの沖縄出身の者で、皆さんを助けにきました」というのが聞こえたけれども、絶対信じなかった。
1945(昭和20)年6月26日?
- 日本の兵隊には、人を殺す人もいればよい人もいて、「米軍は住民は殺さないから出て捕虜になりましょう」と言うので、出ることにした。この本土出身の兵隊のおかげで今がある。
- 洞窟を出て、少し歩いたところで捕虜になった。この日本兵とは収容所まで一緒だったが、着いたら住民と兵隊に分けられた。
- 置いてきた従姉妹も、家にいた兵隊も、首を切られた兵隊も、平和の礎に刻まれている。
- これをただの名前と思わないでほしい。声なき声、悲しみ、憎しみ、恨みを感じてほしい。
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