体験者がご自身でまとめた記録をお預かりして公開するとともに、ボランティアがお一人おひとりのご自宅などにお伺いして体験談の聞き取りを行っています。
なお、戦場とは必ずしも外地の戦線に限りません。沖縄など内地もまた戦場でした。そして戦地や階級、経歴などにかかわらず、軍隊の一員である軍人・軍属としての体験も私たちは戦場体験として位置づけています。
戦場体験史料館は、体験者が自ら作る史料館です。
体験者の生の声をありのままに保存し後世に伝えるための場所として、老若の有志によって2009年7月に設立されました。
そして2012年8月15日、史料館「電子版」を開設し、インターネット上での体験記録の公開を開始しました。
電子版の開館当初に公開する資料は、映像化した証言(インタビュー)の概要をまとめた文章です。まずは100名の方々から公開を進め、順次範囲を拡大していきます。公開する資料の種類も、段階的に証言記録本編(映像、手記、日記、絵画)に広げていきます。
最終的には、この史料館には15万人の戦場体験を収め、すべての体験記録をそのままの形で公開することを目標としています。
そもそも、どれだけの人が戦場に送られ、どれだけの人が戦死、どれだけの人が帰還され、今どれだけの人が生存されているか?
会の立ち上げ時、まずそこから取りかからなければならないと思いましたが、その確かな資料がどこにもありませんでした。防衛庁の防衛研究所戦史室さえ「旧厚生省援護局の資料以外にありません」と言います。
厚生労働省社会・援護局調査資料室に照会したところ提供されたのは「援護50年史」(厚生省社会・援護局50年史編纂委員会監修)の資料で、アジア太平洋戦争15年全体の記録はなく、敗戦時における兵員数のみが記載されていました。それによると
本土 | 238万8000人 |
本土以外 | 308万5000人 |
千島、樺太 | 8万8000人 |
台湾、南西諸島 | 16万9000人 |
朝鮮半島 | 29万4000人 |
旧満州 | 66万4000人 |
中国 | 105万6000人 |
南方方面(中部太平洋諸島を含む) | 74万4000人 |
ラバウル方面 | 7万0000人 |
本土 | 197万2000人 |
本土以外 | 44万9000人 |
千島、樺太 | 3000人 |
南西諸島 | 1万2000人 |
朝鮮半島 | 4万2000人 |
台湾 | 6万3000人 |
中国(香港を含む) | 7万1000人 |
中部太平洋方面 | 5万9000人 |
フィリピン方面 | 3万0000人 |
仏印、マレー方面 | 6万1000人 |
南方方面(ジャワ、ボルネオ、セレベス、モルッカ等) | 5万2000人 |
南東方面(ニューギニア、ビスマーク諸島、ソロモン諸島) | 5万6000人 |
援護局提供資料「地域別・身分別」引揚者数によると、上陸地において引揚手続を行った軍人・軍属は 310万7411人。ただし、前述の1945年8月外地で生存と推定された353万4000人とは42万人以上の開きがありますが、説明はされていません。
地域別内訳は以下の通りです(地域の区分、呼称は原資料のまま)。
旧ソ連 | 45万3787 |
千島・樺太 | 1万6006 |
満州 | 4万1916 |
大連 | 1万0917 |
中国 | 104万4460 |
香港 | 1万4285 |
北朝鮮 | 2万5391 |
韓国 | 18万1209 |
台湾 | 15万7388 |
本土隣接諸島 | 6万0007 |
沖縄 | 5万7364 |
蘭領東印度 | 1万4129 |
仏領印度支那 | 2万8710 |
太平洋諸島 | 10万3462 |
比島 | 10万8912 |
東南アジア | 65万5330 |
ハワイ | 3349 |
オーストラリア | 13万0398 |
ニュージーランド | 391 |
一方「援護50年史」によれば内外の戦没者数は以下のようになります。
軍人・軍属等 | 合計約230万人 |
<内訳> | |
本土以外(硫黄島、沖縄を含む) | 約20万人 |
本土 | 約210万人 |
民間人 | 合計約 80万人 |
<内訳> | |
外地一般邦人 | 約 30万人 |
戦災死没者 | 約 50万人 |
さて、外地の戦場から帰還したとされる軍人・軍属310万7411人のうち、健在な方はどれぐらいおられるでしょうか。
2004年の会創設時行った試算は以下の通りです。
この数字は本土、外地双方で兵役に付いていた人数です。外地分だけを抽出するのに、乱暴ですが、前述の終戦時の兵力のうち本土以外の比率(46.6%)で案分すると約65万人となりました。さらに年齢別疾病罹患率などの検討を加え、ご健在な方の人数を約55万人と推定しました。「元兵士からの呼びかけ」にある出発点の数字です。
ずいぶん大まかな数字ですが、他に確かな数字も無かったため、独り歩きをして次第にマスコミでも引用されるようになりました。
<追記>
2010年にその時点での数字を再度検証しようとしました。しかし、2004年の時点では「非公式な数字ですがマスコミ向けに提供した試算値です」として回答のあった2003年時点での恩給欠格者数の推定値(119万3000人)は、その後の推移が追えないばかりか、2003年の数字も「どこから回答した数字かわからない」と無くなっていました。戦後の援護行政に詳しかった以前の担当者は定年退職をし、代わって応対してくれた職員は「何しろ、ずいぶん前の事ですから」と言います。
2005年の推定では、健在な戦場体験者は55万人。(ただしこれは軍人・軍属で外地にいた方に限定した数字です。本来は、これに民間人や内地にいた方も戦場体験者に含まれます。)
当時でも80歳以上の方々です。5年10年と経つうちに、これがどんな数字になるかは想像は容易です。
私たちは、この55万人という数字をスタートラインとしてこの運動を始めました。
そして、人的、地理的、心情的な様々な事情から体験談を取材・放映できるのは15万人であろう、と私たちの目標を定めたのです。
つまり、15万人という数字は「可能な限りすべての人の体験を記録する」という意味なのです。その根底にあるのは、「すべての人の戦場体験が大切な歴史である」という考え方です。