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戦場体験史料館・電子版について(about this site)

戦場体験史料館は、元兵士・軍属の方、また民間人として戦場を体験された方の体験を記録し、広く共有するための場所です。

 体験者がご自身でまとめた記録をお預かりして公開するとともに、ボランティアがお一人おひとりのご自宅などにお伺いして体験談の聞き取りを行っています。
 なお、戦場とは必ずしも外地の戦線に限りません。沖縄など内地もまた戦場でした。そして戦地や階級、経歴などにかかわらず、軍隊の一員である軍人・軍属としての体験も私たちは戦場体験として位置づけています。

戦場体験の証言をお寄せください。


    • 戦場体験をもつ皆様。ぜひ、ご自身の体験を形に残して、次世代へ語り継いでください。
    • 戦場体験をもつ方をご紹介くだされば、ボランティアが訪問して、体験談をビデオに記録します。

個人や戦友会等による手記や記録、当時の物品をお寄せください。


    • 皆様の体験をまとめた手記や自費出版本、戦友会の冊子などをお寄せください。
    • 当時の物品(軍隊手帳、軍事郵便、写真、軍装品など)をお寄せください。
    • 個人や団体による体験を語り継ぐ活動の記録もせひお寄せください。広くご紹介させていただきます。

ボランティアスタッフを募集中。


    • 戦場体験の聞き取りをしませんか。
    • 史料館の運営(体験記録の整理や書き起し、イベント運営など)をお手伝いくだされば助かります。
    • 東京だけでなく、全国各地の方からのご連絡をお待ちしています。


戦場体験史料館が目指すもの

2012-08-15

banner  戦場体験史料館は、体験者が自ら作る史料館です。
 体験者の生の声をありのままに保存し後世に伝えるための場所として、老若の有志によって2009年7月に設立されました。
 そして2012年8月15日、史料館「電子版」を開設し、インターネット上での体験記録の公開を開始しました。
 電子版の開館当初に公開する資料は、映像化した証言(インタビュー)の概要をまとめた文章です。まずは100名の方々から公開を進め、順次範囲を拡大していきます。公開する資料の種類も、段階的に証言記録本編(映像、手記、日記、絵画)に広げていきます。
 最終的には、この史料館には15万人の戦場体験を収め、すべての体験記録をそのままの形で公開することを目標としています。

なぜ「15万人」なのか?

2012-08-15

終戦時の兵力 陸軍約547万人 海軍約242万人

 そもそも、どれだけの人が戦場に送られ、どれだけの人が戦死、どれだけの人が帰還され、今どれだけの人が生存されているか?
 会の立ち上げ時、まずそこから取りかからなければならないと思いましたが、その確かな資料がどこにもありませんでした。防衛庁の防衛研究所戦史室さえ「旧厚生省援護局の資料以外にありません」と言います。
 厚生労働省社会・援護局調査資料室に照会したところ提供されたのは「援護50年史」(厚生省社会・援護局50年史編纂委員会監修)の資料で、アジア太平洋戦争15年全体の記録はなく、敗戦時における兵員数のみが記載されていました。それによると

       
終戦時における陸軍の総兵力 約547万人
本土 238万8000人
本土以外 308万5000人
千島、樺太 8万8000人
台湾、南西諸島 16万9000人
朝鮮半島 29万4000人
旧満州 66万4000人
中国 105万6000人
南方方面(中部太平洋諸島を含む) 74万4000人
ラバウル方面 7万0000人

終戦時における海軍の軍人軍属は 約242万人
本土 197万2000人
本土以外 44万9000人
千島、樺太 3000人
南西諸島 1万2000人
朝鮮半島 4万2000人
台湾 6万3000人
中国(香港を含む) 7万1000人
中部太平洋方面 5万9000人
フィリピン方面 3万0000人
仏印、マレー方面 6万1000人
南方方面(ジャワ、ボルネオ、セレベス、モルッカ等) 5万2000人
南東方面(ニューギニア、ビスマーク諸島、ソロモン諸島) 5万6000人


帰還兵員 311万人

 援護局提供資料「地域別・身分別」引揚者数によると、上陸地において引揚手続を行った軍人・軍属は 310万7411人。ただし、前述の1945年8月外地で生存と推定された353万4000人とは42万人以上の開きがありますが、説明はされていません。
 地域別内訳は以下の通りです(地域の区分、呼称は原資料のまま)。

「地域別・身分別」引揚者数
旧ソ連 45万3787
千島・樺太 1万6006
満州 4万1916
大連 1万0917
中国 104万4460
香港 1万4285
北朝鮮 2万5391
韓国 18万1209
台湾 15万7388
本土隣接諸島 6万0007
沖縄 5万7364
蘭領東印度 1万4129
仏領印度支那 2万8710
太平洋諸島 10万3462
比島 10万8912
東南アジア 65万5330
ハワイ 3349
オーストラリア 13万0398
ニュージーランド 391


戦没者数 約310万人

 一方「援護50年史」によれば内外の戦没者数は以下のようになります。

                                                                       
軍人・軍属等 合計約230万人
 <内訳>
 本土以外(硫黄島、沖縄を含む) 約20万人
 本土 約210万人
民間人 合計約 80万人
 <内訳>
 外地一般邦人 約 30万人
 戦災死没者 約 50万人


2004年時点での健在者は約55万人と推定

 さて、外地の戦場から帰還したとされる軍人・軍属310万7411人のうち、健在な方はどれぐらいおられるでしょうか。 2004年の会創設時行った試算は以下の通りです。


  • 2004年の総務省人事恩給局の資料では恩給受給者は37万1000人
    (普通恩給33万3000人、傷痍恩給3万8000人)
    • この恩給受給には兵役12年が必要(但し外地加算あり)なので、多くの一般応召兵には資格がなく恩給欠格者と呼ばれています。
  • 政府は恩給欠格者に銀杯と賞状を配ることとしました。このため総務省特別寄金事業推進室が1986年に調査した時点で該当者は275万5000人でした。推進室では、年齢分布や各年齢死亡率などから2003年時点で恩給欠格者を119万3000人と推定したという数字がありました。
  • 先の恩給受給者と併せて156万4000人となります。

 この数字は本土、外地双方で兵役に付いていた人数です。外地分だけを抽出するのに、乱暴ですが、前述の終戦時の兵力のうち本土以外の比率(46.6%)で案分すると約65万人となりました。さらに年齢別疾病罹患率などの検討を加え、ご健在な方の人数を約55万人と推定しました。「元兵士からの呼びかけ」にある出発点の数字です。
 ずいぶん大まかな数字ですが、他に確かな数字も無かったため、独り歩きをして次第にマスコミでも引用されるようになりました。

<追記>
 2010年にその時点での数字を再度検証しようとしました。しかし、2004年の時点では「非公式な数字ですがマスコミ向けに提供した試算値です」として回答のあった2003年時点での恩給欠格者数の推定値(119万3000人)は、その後の推移が追えないばかりか、2003年の数字も「どこから回答した数字かわからない」と無くなっていました。戦後の援護行政に詳しかった以前の担当者は定年退職をし、代わって応対してくれた職員は「何しろ、ずいぶん前の事ですから」と言います。

対象は15万人

 2005年の推定では、健在な戦場体験者は55万人。(ただしこれは軍人・軍属で外地にいた方に限定した数字です。本来は、これに民間人や内地にいた方も戦場体験者に含まれます。)
 当時でも80歳以上の方々です。5年10年と経つうちに、これがどんな数字になるかは想像は容易です。

 私たちは、この55万人という数字をスタートラインとしてこの運動を始めました。
 そして、人的、地理的、心情的な様々な事情から体験談を取材・放映できるのは15万人であろう、と私たちの目標を定めたのです。

 つまり、15万人という数字は「可能な限りすべての人の体験を記録する」という意味なのです。その根底にあるのは、「すべての人の戦場体験が大切な歴史である」という考え方です。

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