インタビュー記録

1945(昭和20)年4月 現役、東部41部隊に入営

  • 当時19歳 徴集年齢が20歳から19歳に引き下げられ徴兵される。

入隊

  • 当時戦争に行くということは決められたことだった。小学校では軍国主義を煽るような唱歌を歌わされた。
  • 令状が来ると国防婦人会のひとびとが集まってくれて万歳で送り出された。

訓練

  • 1945年4月から一カ月間群馬県沼田で訓練を受ける。一か月で訓練が終わってしまうのは短いと思ったが、当時の状況を考えれば仕方がなかった。
  • 沼田から沖縄に行った者たちもいた。同級生が沖縄に向かう途中、船が沈められて戦死している。
  • 訓練は殴るということしかなかった。とにかく不条理になぐられた。軍人勅諭を全文暗記させられ、完璧に覚えていなければ殴られた。上官の命令は朕の命令だった。(訓練は肉体的な訓練と戦陣訓を基本とした精神的訓練の二本柱)

生活

  • 食事一粒でも残したら殴られ、次の日は食事が半分くらいになった。砲兵はご飯が二人前出たので、その点は恵まれていた。岡野さんは小柄で全部食べきれなかったので、食事を分け与えると喜ばれたという。

1945(昭和20)年5月頃 九十九里浜へ

  • 貨車に乗っけられて九十九里浜へ。全部にブラインドがかかっていたため、自分が九十九里のどこへ行ったのかよくわからなかった。
  • 九十九里浜は遠浅で敵前上陸としては絶好の地であったので、アメリカ兵の上陸を想定して訓練を行っていた。(迫撃砲の訓練)
  • 九十九里に竹藪があり、そこから竹を切ってきて先端に爆弾をつけて突進する訓練を行った。武器は十分でなかったが、アメリカ兵が来たら俺がやってやるという気持ちだった。上陸は沖縄だったが九十九里に来ていたら大変なことになっていた。

1945(昭和20)年8月15日 敗戦

  • ラジオの音質が悪くて玉音放送がよく聞こえず、少し経ってからわかった。当時は日本が負けて悔しい、信じられないという感情よりも、「これからどうなるのだろう」という不安の方が大きかった。
  • 終戦の三日後、小隊長の命令で電車に乗り帰京。
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