インタビュー記録
1942(昭和17)年 東京防空隊高射砲第2連隊(柏)に入隊
東京防空隊1903部隊に転属
淀橋区(現新宿区)にある工学院大学(当時は前身の工手大学)の屋上に部隊司令部があり、ここに勤務
していた。ドーリットル空襲を経験した。
病気になって召集解除となった。
1944(昭和19)年 召集 野戦高射砲第74大隊2中隊に入隊
軍隊は嫌いだった。がり勉をして一ツ橋を受けて受かった2日後に召集が来た。大学に行きそこなったのは今でも悔しい。
同年2月、35師団の船団が横浜港に入港、その指揮下に入る。パラオで二月の猛訓練のあと、制空権の無い中、重巡洋艦・青葉で強行上陸。
西部ニューギニア・サラワティ島・サマテで野戦飛行場警備
制空権はないので高射砲を叩けばよいと集中的に攻撃された。そのためニューギニアでも病死より戦死が多かった。分隊では40人中2人の生き残りとなった。
4回死にかけた
- マラリア マラリアは常套手段で誰でもかかっていた。合併症で心臓をやられた。
死ぬ間際にそこらにある注射をやると、とどめの一発でころっと苦しまずに死ねるよと言う注射があった。それに気付いて手で払った。そうしたらもう一つ小さなアンプルがあって、衛生兵でもないやつが「ならこれをうっておくよ」と打ってくれた。
臨死体験だったが、夜中にぱっと目が覚めて気分爽快。胸をかきむしった跡があったが爽やか。目の1mぐらい前にお母さんの顔が浮いている。髪はなくマスクだけ。触ろうと思うとす~っと向こうへ行く。じっと見ているとすっと上に上がって13夜の月、幻覚だった。
這いずるような感じだったが立って歩ける。座って朝まで待っていると一人だけ生き残っていた戦友が起きてきて、「三橋、お前生きていたのかよ。昨日夜死んじゃったから埋める場所を考えていた」と言われた。
あとでアンプルを軍医に見せたら、白いドイツ語で薬の名前が書いてあって、「お前の部隊はどこから来たんだ。心臓の特効薬だ、司令官だって打てるような薬じゃない。何でお前の部隊にこんなものがあったんだ。こんなんがあれば誰だって治る」と言われた。マザコンなのでお母さんが助けてくれたと思った。
- 鉄砲水 2回目は鉄砲水にやられた。
司令部が山中にあり、そこまで命令受領でジャングルの中を8キロぐらい歩いていた時、急にごーおっと山鳴りの様な凄い音がした。
米軍が時々山中を絨毯爆撃するのでそれかと思って空を見ていたら、足元が響けてきた。100mぐらい先の山の中から大きな泥の海苔巻きみたいな絨毯みたいのがほどけてこっちへやってくる。初めて見た現象で、足元に水がちょろちょろちょろちょろ来る。あっという間に水がわ~っと来た。びっくりして、向こうには木の大きく張った根がいっぱいあるので、その板根の影に隠れた。濁流がいきなり目の前に現れた。土石流。
あとで考えると上流で豪雨があり、珊瑚礁なのでそのまま染みずに流れてくる。ジャングルの中が海になってしまった。自分がどんどん埋没していく。2~3分なのでどうしようもない。
兵隊は命より命令書類が大切と訓練されていたので、空の飯ごうに書類を入れ頭の上に結わえた。背丈が180cmもあるかあら大丈夫と思ったが、あっというまにぶくしちゃって、水の中に飯ごうが浮き袋になり1回は浮いたがまた沈んでしまった。
人間死ぬときはもう一人の自分が出てくる。もう一人の自分が出て来て死んでいく自分を見ているみたいなのがよくあるが、あれは本当。濁流に飲まれて沈んでいく自分をもう一人が見ている。渦巻きの中にだあ~っと入っていく。そのときいっぱい飲んじゃって意識がない。
偶然す~っと浮いてきて黄色い通信線がぴしゃっと見えた。それに手を伸ばして浮き上がってきた瞬間に飛びついた、掴まえたの。ぎゅーっと引っ張ったらばね仕掛けの人が空中ブランコをやって帰って来るみたいにす~っと上に上がっていった。また運がよく大きな木のこぶのところにぽんとのっちゃった。水が腰から下ぐらいになっていて助かったと思った。
そのうち土砂降りの雨。大きな丸太が浮いているのが見えたが、そこは自分が作った渓谷の橋。
通信線を持ったまま橋にまたがってずるずる渡り、夢中になって歩き、いつもの縄梯子をあがって水から助かった。
少し行くと小道に椰子の葉をひいた小屋がある。青い煙が出て兵隊さんがいるので駆け込んだ。頭のはげた人のよさそうな兵隊さんで、裸になれといわれて裸になると全身に山ビルがついていた。山ビルもぶくするもんだから人の体に懸命に飛びついてきている。彼が「この野郎」と、取って焚き火の中に投げ込んでくれて、30何匹いた。それから滅多にないカンガルーの肉を煮ていたのを「あんたこれを食えよ」と言って。彼の夕御飯だし、当時カンガルーの肉なんて食べられる状況にないから「いいよ」と言ったが、無理やり口に入れてくれた。あんまりおいしくて口から喉に落とすことが出来なくていつまでも噛んでいたら「早くどんどん食えよ」と言ってくれたけど4粒ぐらいで止めた。
- 戦闘 3度目は戦闘中。
マラリアで39度ぐらいの熱で寝ていた。高射砲を撃つのには12~13名いるが、皆病人で寝ていて撃つ人がいない。
飛行機が来たので、飛び起きて大砲にかけていったら、1週間ぐらい何も食べず水ばっかりだったのでつまずいて、大きな切り株のところに転がり込んだ。
鉄帽をかぶろうと上を見上げたら敵機が3機急降下してきて、ねずみのくそみたいなのが、ぽろぽろっとこぼれた。爆弾。5m離れていないところ、切り株の向こう側に落ちた。閃光、フラッシュを何十発もたいたような閃光を受けて、空中高く飛び上がっちゃった。
その時、もう一人の自分がいて、胎児みたいに浮きが立っている自分を見ている。泥の柱みたいなのが立って上に私が浮いて、しばらく下に落ちてこない。目の玉がものすごい圧力で飛び出してでんでんむしみたい、自分の目玉を後ろから見た、どうしようと思った。
爆風で泥が耳の中に詰まっている。うちのものの顔、お母さん、兄、姉の顔が高速写真で撮るようにぱっぱっぱっぱっと消えていく。地面に叩きつけられて死んだつもり。
30分か1時間か、ほっぺたが冷たくて仕方ない。土砂降りのスコールが降ってきて、ふっと目が覚めた。
生きてるんだなあと思った。左の胸がもの凄く痛い。胸をやられたと思って右手をず~っと持っていったら、軍服のポケットの下が破れている。あっ、もう駄目。その時の絶望感ったらない。もうこれで俺は死ぬんだ。もっと手を突っ込めば血がべとっとつくんだと思うが怖くてそこから入れられない。しばらく考えていたがもう一回見てみようと勢いよく入れたら、冷たいものが触った。
2cmぐらいの幅の金属のプロペラ、爆弾の先端についているやつ。それが出てきた。横文字で刻印が打ってある。全然血がべとっとこない。俺は生きているんだ、大丈夫だと思ったその時の安堵感。あと2~3cmで心像が串刺しだった。
気づいたら上空で爆音がしている。上に偵察機が来ている。超低空でジャングルの木すれすれを廻っている。一人が前の風防をあけて肉眼で下を見ているのが見える。高射砲陣地の生き残ったものは皆山の方に逃げて誰もいなくなっていた。一人おいてきぼり。
見つかったら大変と思って、寝ているところを見たら作業小屋の屋根が飛んで丸太の柱だけが立っている。そのそばに井戸があるので入ろうと這いずっていって中に入った。ところがそれが見られていた。動かなければ良かった。わざわざ急降下してきて爆弾を落とした。直撃はしなかったがジャングルの椰子の大木の根元に落ちて、地震が井戸の中に来たみたいで風圧で井戸がぺちゃんこになるんじゃないかと思ったが、井戸は丸いまんま。大木が倒れてきて井戸の上にかぶさって完全に私は見えなくなった。
偵察機は帰っちゃったが真っ暗。ぞくぞくしてきた。水の中につかっていたからドブネズミみたい。雨はじゃんじゃんしのつく雨。
もう一人生きていたのが山から帰ってきた。「三橋。三橋」と呼ぶ。私は面白くない。「とうとうあいつもお陀仏か。可哀想に」と言ってる。あとで大笑いしたんだけど。二人で抱き合うようにして木の根で寝た。朝起きたら上げ潮で海の水につかっていたが、それでも疲れていて分からなかった。
あとで飛ばされた屋根を探しに山に行ったらとんでもないところにかかっていて、私の背嚢もぶら下がっている。中を見たらステロイドの石鹸箱、母が買ってくれた新品のもの、そこに小指の先ぐらいの破片が飛び込んで穴が開いて中が溶けて石鹸が豆板みたいになっている。おふくろが身代わりになったと、みんなそうとっちゃうんだ。
- 倒木 4回目はひどかった。
戦争が終わって船が来るまで自活体制に入れということになって、お前は丈夫だからと先発隊になった。今後の宿営地にするので木を切れと言う。
カヌーで泥川をあがっていくと気味の悪いジャングルで、蚊取り線香ぐらいでっかい船虫みたいなのがとぐろ巻いて泥の上にいっぱいいる。火をつけるとアルコールみたいに燃える。嫌なところに来ちゃったな。
二人で直径1m50ぐらいの大きな木を切っていたら、ぴしぴしと音がして嵐のような音で倒れてきた。蔦が木の上のほうで互いに絡まっているので、1本倒れたら50mぐらいの広さがいっぺんに倒れてきた。
ぽけっと立っているから、巨大なハンマーで殴られるように頭と腰にど~んと来た。
前につんのめる時に自分が倒れるところに人型が見えた。俺はあそこに倒れていくんだなと思って、埋まっちゃう。背中に木が乗ってきて蛙がつぶされるよう。
その時の苦しみは断末魔。首の付け根から腰まで皮が切れちゃっている。口が開いちゃった。息が出来ない。内臓が全部口から出てきそう。はらわたを引っ張り出そうと思って、そうしたら楽になると思って。
そのときもうちの者の顔がぱ~っと走っていった、さよならって言う感じ。声も出ない、全身痙攣しているもう一人は内臓はやられていないが腿の上に木が乗っている。
奇跡が起こった。
目の前に兵隊が顔を出した。木の下から引っ張り出して「なんだお前三橋じゃないか」と言われた。上陸した時中隊に健康診断で来た衛生兵の准尉、ノモンハンに行ったなんておっかなくて身の回りを見る人間がいないので、当番兵をやる階級じゃないけど恐る恐るついた人。10日ぐらいの間だった。荒っぽいようで良い人だった。どういうわけかその人が兵隊を連れて通りかかった。私を抱え込んでカンフルを胸に打ち、慣れていて処置が早い。背中を見てヨードチンキの原液を准尉だから持っている、それをいきなり皮が剥けたところにたらしこんだ。ぎゃ~っと言っておしっこが出てしまった。それをやっていなければ破傷風になっていた。息が出来るようになって、その時空気が甘かった。
その人は自分で軍刀を抜いて、どぶ川を渡り竹を切って抱えて帰ってきた。部下に天幕を張って担架を作らせ「すぐに後送しよう」。衛生兵がカヌーに乗せ、衛生准尉が川辺に立って「三橋頑張れよ」と送ってくれた。口が利けないので拝んだ。それが生き別れ、その人も後で死んじゃった。
基地に運ばれて、運良く更に後方に行く連絡船が丁度入ってきた。非常にラッキーボーイ。手相を見て幸運な人じゃないけど強運な人だと言われた。死んだ38人が私を救ってくれたような気がする。
「飢餓兵士像」について
サラワティ島には色んな兵科の人がいた。
命令受領で山を通って、ある部隊の前を通ると、部隊というと体裁はいいが掘っ立て小屋なんだが、床にも座れず泥に蹲っている兵隊さんがいる。こんなに小さくなって、足も伸びず固まって仕舞っている。骸骨。椰子のお茶碗に入っているものをもじゃもじゃ食べている。あんまりやせちゃっているんで吃驚して、「この人なんでもう少し見てやらないんだ」と言ったら、「働かざるもの食うべからずですよ」と言う。「俺たち精一杯で、こんな動きもしない奴にくれてやる必要はないんだ」と。
その時持っていた飯ごうに、昼食のでんぷんをどろどろに溶いたもの、椰子の実から採るんだが、それを椰子の実のお茶碗に入れてこれを飲めといったらばあ~っと飲んじゃった。こちらを拝むんだよ。
そこをちょいちょい通るので、食事をしようと思うと思い出す。こっちも今日はサツマイモのこんなに細いの一本だとか、でもあいつどうしてるかなとそこに行って、これ食えって。
下関出身で株屋の小僧だった。
かなり続けたが、私が倒木でやられて行けなくなっちゃった。やられる前にそこの兵隊さんに「この人は連れて帰ってやるんだろうな」と言ったら、もう戦争は終わってるんだから、「いや~もう俺たちが歩くのに精一杯でこんなやつ連れて帰れるもんかよ」と言う。「冗談じゃねえ、生きてるんだから」。座ったままでうんちをしているので糞だらけになっている。ぼろっきれで拭いてやったりして、臭くていられないから、自分の部隊から板を持ってきて穴を開けて、船が着たらこれに乗っけてやってくれと言ったら嫌な顔をしている。「こんなところにおいてけぼりにすんなよ」と言って、そのまま生き別れになった。
あいつも死んじゃったと思っていたが、阪神大震災の直前に所在が分かり電話で話した。小さな証券会社の会長になっていた。3年ぐらいで亡くなり奥さんと話したら「戦争の話は見るのも嫌だ、ニューギニアの話をしたら承知しない」と言っていたという。私のことは知らなかった。
自殺した人もいた。
気の弱い人は、ちょとしたこと、教養も違うから、不用意に言った言葉でショックを受けて死んじゃう。私が自分が殺したかなと思う事件がある。
小さな島にいた時敵に囲まれちゃった。これでやられちゃうなと、その時どうせ死んじゃうんだよね、「どうやって死んだらいいかな」って私の隣にいた人が聞いた。鉄砲を口にくわえて足の指で引っ張れば一番確実と言った。そのときは敵は引き上げた。
それから1年、8月15日の朝、敗戦を知ったのは8月18日だった。朝の6時にその人の寝ている小屋を通りかかった。南方浮腫で腎臓をやられてむくんで動けなくなっている。苦しくて横になれないので、丸太に寄りかかって座って寝ていた。点呼で他の人はいなかった。通信線を直しに「おはよう」って通っていった。俺は非常に仲が良かった。
300mぐらい入ったら、どか~んと音がした。彼が自殺していた。銃をくわえて、私がおはようと言ったままの姿勢で額から上が無くなって、脳みそが出ちゃっている。皆遠巻きにしてびっくりしている。
急いで帰って兵器の箱をかき回し、モールス通信をやる白い布があったので、ぐちゃぐちゃだからそれで頭を巻いた。真っ白な中に鼻が一番最初に浮かび上がり、目が血のワインレッドでぽっ、ぽっと。私が敵に囲まれて言ったのを私を見て思い出したんだよ、死にたいと思っていたんだから。病気で動けなくなっちゃって。班員が「てめえなんて早く死んだほうがいい」とか平気で言うんだよね。そういうことで死んじゃった。
死ぬ3日ぐらい前に小屋の前を通ったら、爆弾が落ちて危なくてしょうがない。そいつをひっかかえて山の穴の中に転がりこんだ。そしたらそいつが転がりながら「三橋さん、もううちには帰れないし俺はもう死んじゃいたいんだよ」と言う。「もうすぐ帰れるから一緒に帰ろうや」と言ったら「もう俺は駄目だ、面倒くさくてしょうがねえ。皆になんか言われるし」と。で爆撃が終わってまた戻しておいた。